そして入院 1そして入院 1 2月7日午前10時までに病院に入る。 朝家を出る時、隣に住んでるお母さん(夫の母)が縁側から見送り。 私は 「 いってきまぁーす!」 と元気に出発。 この時のことを、ずっと後まで何度も義母に言われることになる(笑) 「なんで、あんなに元気よく出ていけたのかなぁ? まるで旅行に行くみたいにしてさぁ、、、」 その後、義母は同年の秋(10月末)に大腸ガンで、手術を受けた。 その時の義母は不安で、やりきれなく、かといって止めるわけにもいかず、 私のことを引き合いによく出していた。 手術を目的の入院なのに、それも脳の。 あまりに明るい私の顔が信じられなかったって。 これが普通なんだろうな。 他のガン患者の話なんかを目にしても、たいていの人は最初告げられた時、 ショックだった、がぁ~ん!って言ってるもんな。 でも私の知人の乳ガンの人も、私と同じように元気だった。 あとから知り合った脳腫瘍(聴神経腫瘍)の女性もそう。 ショックでないことはないのだけど、ほかにもっと考えなきゃならないことが先にあるもんで、そればかりを考えてられないっていうのかな。 さて入院1日目の夜、担当医になる若手の T先生 が病室にやって来て、 翌日行われる、脳血管造影検査の説明。 これは足の付け根のところからカテーテルを入れて、造影剤を点滴しながら、 脳血管の写真を撮る検査。 そのときの説明では、所要時間は1時間から、場合によっては2時間か3時間という事だった。 私の場合、実際にかかったのは3時間。(ってことは、私はなんの場合だったのだろう??) 「 そしてこの検査は危険も伴います。1000人に1人の割合で亡くなることもある検査です。 でもこの検査をしないで手術に臨むほうがもっと危険なので、やりましょう。」 という T先生 の話。 思い起こせば T先生 はおもしろい人だった。 私のところへやって来るたびに、必ず笑いをとっていった。 それは手術が終わって退院するまでそうだった。 私が笑うまで部屋から出て行かないようだった(爆) 関西弁だったからきっと吉本出身の脳外科医だったのだろう。 一年後に脳浮腫(脳内がはれて、脳圧が上がる)がおきて入院した時も、 その時の病棟担当医は別の美人の女医さんだったのに、T先生も毎日顔を見せてくれた。 (初診の Dr.Mもよくきてくれた ) 4年半経った今、あのお笑い系の T先生 や、 若くて美人の女医さんもどこかへ移ってしまって残念。 N・M女医先生 は私がお見舞いにお花を頂いたのに花瓶がなく困ってる時、 先生が自分の花瓶に水を入れて持ってきて、貸してくれたことがあった。嬉しかった。 T先生 は私が退院して半年以上たったころ、 外来待合室で待っている時にたまたま何かを取りに現れ、 ( T先生は外来は担当してないので普段は外来に降りて来ない )、 手術途中かなにかで、誰かの頭を開けた途中で来たみたいに、急いでたのにもかかわらず、 私のところへ近づいてきて、私の術後の変化を診ていった。 そして手術の時に丸坊主にした私の頭が、髪の毛が生えそろって、茶髪にしてるのを見て、 「 どこのお姉さんかと思った 」 とまた笑わせていった。。。 脳血管造影撮影の検査はDr.TとDr.M、(他にもたくさんのスタッフがいた) でおこなわれた。Dr.Mは横で指導していたみたいだった。 局所麻酔なので、私の意識はある。 血管がやぶれないように慎重に、とっても神経を使う作業だと思うのに、 Drは私の気持ちが楽になるような話をしながら、 そして脳内血管を写し出すテレビの画面を見ながら、手を動かしていた。 もし、手術の途中で静脈が切れた場合の時、一時的に静脈の流れを止めないといけないので、 その場合血液は、どんなふうに広がって流れるかを見るために、 首の左側をギュッとしばらく押さえた状態での写真も撮った。 なんか首を絞められたみたいだった。 でも終わってからカテーテルを抜いた時はDrもほっとしたんだろうな。 「ほらこれが入ってたよ 」 と私の目のまえにカテーテルを掲げて、見せてくれた。 「先生、写真撮ったの?」 「うん、いっぱい撮った 」 私、ピースするの忘れた。。。 この検査の時間が長くかかったせいかこんな事もあった。 途中で尿意をもよおして、我慢できないのでDrに訴えたけど、 すぐに手を休めることはできない。 でもなんとか排尿できるようにしてもらい、女性の看護士さんが一人になり、 私は寝たまま、便器(かなんか)をあててもらって 「はい、どうぞ 」 と言われたけど、どうぞと言われても出ないよ。ほんの少しだけ。 それで結局終わるまでこの事で苦しかった(苦笑)。 次回は検査の前には水分を撮らないようにしなきゃなと思う。 あ、でもこんな検査はもういやだな。きっともうないだろう。 前のページはここをクリック |